日本人のふるさと観を探る
牛丸仁の戯作『カイロ団長』
『今こそ宮沢賢治を読もう』F 『カイロ団長』 《9月25日》
児童文学者の牛丸仁さんによるカルチャーカフェ
「どっと笑って、しいんとして・・・宮沢賢治『カイロ団長』を読む」
(宮地昌幸さんのブログより)
牛丸先生の講座、今回は朝10時からだった。
いろいろしていたら、30分ばかり遅くなった。
この日も、「カイロ団長」の全文が、印刷されていた。
みんなで、声を出して読みすすんでいる。
部屋に入ったときは、とのさまがえるが、けらいにした、あまがえるたちに「一日に九百貫の石を運んで来い」と命令しているところだった。
読みに加わった。あまがえるたちが、あまりの無理難題の命令に、やけくそになって、とのさまがえるに開きなおったところに、王様の命令がかたつむりのメガホーンの声で伝えられた。
「ひとに物を云いつけるときの方法」というものだった。
その命令に従うとすれば、物を云いつけたとのさまがえるが、九千貫の石を二日の間に運ばねばならないことになってしまった。
とのさまがえるは、えらくあっさり、王様の命令に従おうとした。
あまがえるたちは、立場がかわって、石を動かせないで困っている、とのさまがえるをはやしたて、とのさまがえるの足が曲がってしまったときは、どっとわらいました。
「が、どいうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。
それはそれはしいんとしてしまいました。
みなさん、その時のさびしさといったら私はとても口で言えません。
みなさんおわかりですか。
ドッと一緒に人をあざけり笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこのさびしさです」
ここで、やっと、牛丸先生が口を挟まれた。
問題が出てきました。
「一緒にあざけり笑って、そしてしいんとなって、さびしい気持ちになった」そういう経験が、みなさんにおありかどうか。それは、どういう気持ちか……?
ここまで、読み進んで、コーヒーブレイクになったかな。
コーヒーブレイクのあと、最終段落で、王様の新しい命令が出た。
「すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かわいそうなものである。
決して憎んではならない」
とのさまがえるとあまがえるは、めでたく和解して、平和な世界が再び訪れた。
これで、めでたしまでたしで終わるのかと思った。
参加している伊与田さんが、「どうも気になるんです。王様って、どんなものかと…」
先生、はたと膝をたたいて、「それなんです。王様が要るのか?そこなんです」
いたずら坊主が、うまく獲物をつかまえたときのように、にんまり…
「坂井くーん!」
坂井くんが、前もって用意したあったプリントを持ってきた。
「じつは、ここだけの話しだけど、大文学者宮沢賢治に失礼だけど、この問題をあまがえるととのさまがえるの間で決着できないか、王様は邪魔なんだなあ。」
プリントは、<戯作「カイロ団長」>という標題。
九百貫の石運びを命令したとのさまがえるが、いびきをかいて寝ているところから、
牛丸先生の戯作が、はじまる。
「病院で寝ながら、登場人物、ここならあまがえるととのさまがえるの特質を考えたんだ。
あまがえるには手足に吸盤がついている。とのさまがえるにはない。ここに着目したんだね」
戯作の内容は、ここでは省くかなあ。
王様が登場しなくとも、この両者は和解してしまう。
「いたずらしてるんです。病院には、いろいろな人がいるし、やってきます。
この間から“キリンの足音のする女”という登場人物がでてくる物語を想っている。
その、女の人の正体、身長は高い、ハイヒールを履いている。どんな人…
実際、その女の人は、だんなが入院していて、見舞いに来ていた、背も高かった。
すぐ物語ができるわけではないけど、登場人物の特質を描きながら、それらがどう動いていくか、じぶんのなかで機が熟すの待っている」
「じぶんでじぶんの欠点を自覚している。文学をやろうとしたら、あんまり人がいいと、書けない。ふだん、人がやっていること、“おかしいじゃん”と見る目。
なんでも“いいじゃん”となったら、見えない。自他に“よかない”と見えたら、日常の世界から、文学の世界に飛び込んでいる」
ほんとは、『銀河鉄道の夜』とか、『ビジタリアン大祭』とか、長編をやりたいんだけどいまはちょっと無理なんで、残念ですがと前置きして、次回予告。
次回は、10月30日『なめとこやまの熊』
(文:宮地昌幸)