トップ運営理念イベントNEWSお知らせレンタルカルチャーエコ街のはたけ学習塾館内アクセス

taitoru2エピローグ「瓢箪からコマ」

ひょうたん作り---子どもが見ていた冒険旅行?



この物語は、創造塾の子どもたちが畑から瓢箪を収穫し、それを工芸品に仕上げるまでのエピソードを綴ったものです。そのもっとも核心的な話がこのエピローグとなります。
子どもの目は、時に、曇った大人の目を晴らしてくれるもので、そんな目からウロコが落ちたお話です。

瓢箪を畑で収穫した子どもたちは、いよいよここからが本番で、試練が待っています。
物語《4》 《5》で紹介した通り、瓢箪の中身を腐らせ、種と果肉を取り出すという作業で、
何せ、腐ったものを扱うので、臭いんです。

上の絵は、その前作業で、青い生瓢箪に穴を開けているところ。
まず、ヘタをナイフでカットし、そこにドリルで穴を開けていきます。


次に、瓢箪の中に水を入れ、バケツに沈める作業です。
一週間後に、今度は瓢箪の中の果肉を出す作業。腐った分だけ外に出てきます。
そして、また水を入れてバケツに沈めます。この繰り返しを3回やりました。
手にニオイがつかないように、ゴム手袋をしてやっています。
一つピンク色の手袋があったのですが、「ピンクは女の子だ!」と嫌がるんですね。
「僕、ピンクでいいよ」という子がいてくれましたが、すると他の子が「○○くん女の子」とからかう。後々まで、その話を持ち出してはその子をからかっていました。(これは余計な話です)

 

中身が腐ると種が出てきます。
中を腐らせるので、臭いがとてもきつい。「おじさんのニオイがする」と言ってとても嫌がりました。
これが加齢臭か、と自覚したものです。

種出し作業が終わると、、棒に刺して天日干しをします。
表面の皮も一皮むけて、つるつるの瓢箪が完成しました。

そして、乾燥した瓢箪にデザインを考えて絵付けをします。

以上が作品完成に至るまでの工程です。

僕は、この瓢箪という題材が、どれだけ貴重なものなのか、それを知って欲しいと思い、
一連の経験を踏んでもらったわけです。立派な作品に仕上げてほしいという期待と共に。
にもかかわらず、絵付けの段階では、彼らは、特に丁寧に扱う様子もなく、
いつも通りのペースで絵具を塗っていました。

僕には、彼らがもっと、慎重に、丁寧に、大切に瓢箪を扱ってくれるはず。
そして、素晴らしい絵付けをしてくれるに違いない。
そんな期待があったのです。

子どもは現金なものだ。大変な苦労も忘れてしまうんだ。
そんなふうに思いました。



ところが、完成したひょうたんを前に、彼らはとても誇らしげに見えました。

どんなことを思ってるんだろう。気持ちを聞いてみたのです。

そして、この感想が、僕には目からウロコが落ちる言葉でした。

それは、
「僕たち、最初から、全部やったからね」
と言ったのです。
最初? 最初とは、「収穫からやったからね」、という意味のことでしょう。

彼らのやり切った満足感が伝わってきました。

そうです。僕の思いとは裏腹に、彼らは、これまでの過程をしっかりと吸収して
それを見ていたのです。
最終的な瓢箪のデザインの良し悪しではなく、
一個のひょうたんに、自分が関わった一連の過程を見ていたわけです。

その言葉は、僕には衝撃でした。

一つひとつの工程を、積み上げて完成にたどり着くという思考ではなく、
工程を一つ一つ平面に並べて広げていくようなイメージでしょうか。
旅に喩えれば、山登りでもなく、宝探しでもなく、ハプニング満載の冒険旅行かもしれません。
旅を終えた彼らは、いろんな経験をして、「あー面白かったなー」と言っているように見えました。

僕は、とても大事なことを忘れていました。
よりよい結果を残すために、その過程を大事にする、とか、
よい結果を出して、満足する、とか、
そんなふうに思っていた自分を恥ずかしく思いました。

恐らく、今の社会では、成果主義や結果至上主義で、何よりも結果が求められています。
どんなに努力しても、評価されない結果は報われません。

試験勉強やスポーツやゲームでも勝敗が付いてきます。
そういう積み重ねで、いつしか、結果のみを大事に思う見方が染みついてしまっていた。
自分の思考も結果重視になっていたことに気づかされました。

もし、彼らの作った瓢箪に点数を付けたとしたら、
あまりよい点にはならないかもしれません。
塗り方が雑だったり、描いてある絵も適当だったりで。
しかし、彼らにはそんな出来具合はあまり大した価値ではありませんでした。
ここにたどり着けたことが何よりも大きく、大きな喜びだったのです。

彼らの心の奥深くは知り得ないとしても、
自分が無意識にも、結果重視の見方をしていたことは間違いありません。

子どもの曇りのない眼は、より、事実に目を向けていたのでした。
果たして、僕は、一個のひょうたんの何を見ていたのでしょう?
目の前のひょうたんよりも、自分の頭の中にある理想の作品像に想いを馳せていただけかもしれません。



ひょうたんから飛び出た駒は、この長ーい物語でした。
まさに「ひょうたん物語」そのものだったのです。

ただ、これだけの話なのですが、これを書こうと思ったのは、
ほかでもない、目のウロコが落ちた時に見えた景色を伝えたかったから。
きっと彼らのこころの中には、豊かな世界が広がっているんじゃないかと。
ひょうたんという小宇宙の中にキラキラと輝く眩しい宝物がね。

ここまでのご精読をありがとうございました。

(2015/5/15 絵と文 アートスクール講師:いわたたかし)

ひょうたんものがたり 1 プロローグ    
ひょうたんものがたり 2 型にはめないアート  
ひょうたんものがたり 3 陽と土からの贈り物
ひょうたんものがたり 4 悲しむひょうたん
ひょうたんものがたり 5 おじさんのニオイ
ひょうたんものがたり 6 ひょうたん合戦!?
ひょうたんものがたり 7 卒業 兜づくり 


SCSアートスクールについてはこちらから

お問い合わせは→E-mail scsoffice@scs-3.org (岩田)まで

このページのトップへ

since 14.Jun.2010  Copyright SCS All right reserved.