国境の隙間に落ちてしまった人たちB
映画『パリ空港の人々』(1993年・フランス)
映画を通してフランスの歴史を知る 第5回 《4月16日》
自己の存在理由とは
大嶋さんのこの講座が始まったきっかけは、大学時代の友人であるNさんの紹介によるものだ。(Nさんは、鈴鹿カルチャーステーションの発起人の一人でもある)
Nさんは本講座のコーディネーターといってもいい。そのため先月は、海外旅行で不在となり講座は休みとなった。
内容・テーマも二人でじっくり話し合われて決まるようだ。
Nさんが言う。
「大嶋が一番取り上げたいテーマをとことんやってもらったらどうか」
「自己の存在理由を求め続ける大嶋が今回取り上げた映画です。ぜひどうぞ」と。
これは、メールで送られてきたお誘いの文章だ。
Nさんが、大嶋と呼び捨てし、「やりたいことをとことんやってもらいたい」という気持ちが私にはズシンと感じられた。
「やりたいこと」とは、他からの動機付けではないもの。お金や周囲の評価を求めて起こるやる気とは違う、自己の内側からから湧き上がる探究心や向上心のことと私はとらえている。そこを応援する言葉に聞こえた。
このような後押しが、カルチャーステーションの活動の背景にはある。ここにかかわる人たちへの眼差しでもあり、原動力だ。Nさんのような気持ちが集まって、糧となり、活動として花開いているのだと思う。
カルチャーステーションにかかわる皆さんにその気持ちを届けたいと私自身は思う。
そして、自己の生きる意味や、生きる目的を追い続けることは、決して大嶋さんに限ったことではないだろう。大嶋さんの講座の中には毎回、この問いと、ヒントが見え隠れしている、と私は感じている。
ここに、本講座の魅力があるのだ、と声を大にして言いたい。
自己の存在理由とは? 映画『パリ空港の人々』は、この根本テーマを考える上でも素晴らしい作品だったと思う。閉塞の中でこそ考えざるを得ないテーマだから。
次回も大嶋さんの講座に期待したい。(記者:いわた)
今回は、パトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』を取り上げます。
今まで、どちらかといえば、アガペー(人類愛)的な映画が多かったような気がします。
『髪結いの亭主』はエロス(男女の愛)を扱っています。
閉ざされた二人だけの世界。そして意表をつく結末。
谷崎潤一郎の『春琴抄』に通じる世界……
ほのめかし、フェティシズム、そう、フランス式耽美主義。
ひょっとして、ルコント監督は『春琴抄』を読んだのかもしれません。
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