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映画『マルセルの夏』ダイジェスト↓


マルセルの父、ジョゼフ。教師。無神論者
で自由主義者。


マルセルの母。オギュスティーヌ。


印象派の画家たちを惹きつけたブロヴァ
ンス地方が映画の舞台。


夏休みに入り、マルセル一家は叔父たち
と自然に抱かれた別荘で過ごす。


叔父のジュール。」カトリック信者でしばし
ジョゼフから敵対される。狩りの腕があり
ジョゼフに手ほどきをする。


父は叔父と狩りに出かける。
経験のない父は、叔父の言いなり。
遠目で見るマルセルは悔しくて仕方ない。


ところが、ウズラの王2羽を見事打ち落と
し名誉奪回、獲物を高々と掲げるマルセル。


面目を保つ父。


狩りの道中で土地の子リリと知り合い
次第に絆が深まる。


夏休みも終わり帰る日が近づくと、
マルセルは、一人この土地に残るとリリに
宣言する。仙人になると。


父母に置き手紙を残し、夜中に リリと
別荘を抜け出すが‥


父ジョゼフは牧師と反目していたが、
帰り際は、寛容になっていた。



父の存在とは何だろう? 

わたしの映画レビュー 『マルセルの夏』(1990年、監督イヴ・ロベール)/いわたたかし

 
@ A


『マルセルの夏』の1シーン。マルセル(右)と土地の子リリ。

5月革命の意義

『マルセルの夏』―― この作品は、1990年の制作だ。
映画解説では、大嶋さんは、1968年パリ大学から始まった5月革命に言及した。
その世代にとって、5月革命はイヤというほど染み付いた学生運動の火種だったという。革命というからには、何が変わったのか。大嶋さんによると、「それまでの父権社会・大家族主義といった古いモラルがこの時に抹殺された」という。

続いて、7年後の女性の解放。中絶の合法化やピルの健康保険適用がなされ、女性は子どもを生む権利を得、自分で決められるようになる。以前は中絶したらギロリン刑にされていた国だったのが。

そして、1990年代は二期目の社会党大統領政権下。
あいかわらず、「Metro, boulot, dodo(メトロ ブロ ドド)」。意味は「メトロにもまれ、仕事に疲れ、帰ってねんね」。パリの勤め人の味気ない生活を示す言葉だそうだ。そんな時代を背景に『マルセルの夏』は上映され、フランスでは大ヒットしたという。



        講師の大嶋優さん(関西学院大学フランス語講師)

きらめく夏の思い出

映画は、南仏の大自然を舞台に詩情豊かに描かれたヒューマンドラマだ。時代は20世紀の幕を開け、科学文明に偉大な期待を寄せる空気が漂う。権威と自由の対立ともとれるカトリック信者と無神論者の反目もチラつく。そして威厳ある父の存在と優しい母の愛に包まれて育つ少年マルセルの体験が綴られている。

作家マルセル・パニョルの回想録をイヴ・ロベールが映画化したものだ。9歳になったマルセルが夏休みをブロヴァンスの別荘で家族と過ごす体験が柱となる。
その牧歌的な風景とほのぼのとした家族愛は見るだけでも昔を懐かしむように楽しめる作品だ。

しかし、この平和なドラマに大嶋さんは、父権、教育、宗教といったテーマをぶつけた。
なるほど、21世紀を生きる現代人にとっては、単なるノスタルジックな話では終わらせない、今の時代をどう生きるか、という問題提起ともなる。

父の姿にハラハラドキドキ

その一つが、マルセルの父に対する眼差しだ。
「父の年はいつまでも私より25歳年上」というマルセルの言葉に込められている。

父は万能であり尊敬の対象だ。父のプライドが傷つけば即、息子も傷ついてしまう。今の日本人が見たら、やや奇異な感覚かもしれない。父が息子の姿に一喜一憂するという場面は日本ではよくあるが、その逆が描かれているからだ。

父ジョゼフが叔父と狩りに行くシーンでは、狩猟経験のない父は腕の立つ叔父から手ほどきを受ける。マルセルは生徒のような父の姿を惨めに思ってしまう。ところが、父は幻の獲物といわれるウズラの王を見事に仕留め、名誉挽回、一転、父は栄光を掴み、マルセルは誇りに思うのだった。「父の栄光」というのが映画の原題でもある。

一方、マルセルの母への目線はどうだろうか。
「母、オーギュスティーヌはまるで同い年」と言う。「母が15歳の少女のように幼く見えた」とも呟く。旅の道中ではまるで恋人を見つめるように母を気遣う。学童前のマルセルが「ママは僕をしからないよ」と口にする所があるが、母から怒られたことがないという意味でもある。

自立心は父性が育てる?


そんな父母の愛情をたっぷりと受けながらも、マルセルは、親にベッタリではない。
夏休みも終わり別荘を去る間近、マルセルは、家族と別れ独り、その土地に暮らすことを決意する。マルセルは新しい友や雄大な自然に魅了されたのだ。マルセルの自立心は、父母への愛情が強い分、より際立って見えてくる。父性への憧れが自立心を駆り立てたようにも受け取れる。
マルセルにとって家族は、彼の心を満たすのに十分な居場所であるが、それを振り切ってでも、そこに残りたい衝動があった。

マルセルが「生涯で最も美しい日々」と回想する夏の体験は、すべてが未知の輝きを放ち、眩しく羨ましくも思う。
父の権威、家族の絆。大嶋さんの言う父親絶対主義がバックボーンとなってその良い面を映し出した映画と言えるだろうか。

“ブロヴァンス”は今の自分にとって何だろう?

近代から現代へ、絶対的な存在は、ことごとく崩壊していく‥‥
神も、王も、権力も、あるいは、科学万能主義も…。経済至上主義は?お金はまだ万能だろうか? 

その現代を、100年前の社会から少し眺めてみたら? 今がどう見えるだろうか?
マルセルにとってのブロヴァンスの田舎、体験は、今の私たち、あるいは私にとって何だろう? やはり自然への回帰? 父性の復権? それとも、新しい社会の創造?
絶対的なものを手にしたがる人間だが、立場が違えば束縛になる。

たった一本の映画からでも、社会や人生を考えるエキスが滲みてくる。
こんなテーマに挑んでいるのが、このカルチャーカフェとも言えるかな? 否、記者自身にとってのテーマ。“ フランスの歴史・文化”は“マルセルの夏の体験”とも言えそうだ。(記事:いわた)

@「父権主義への回帰?」

 


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