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清鈴庵 初釜






































 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

干支茶碗 朝鮮唐津と伊羅保 

 奥田英山さんから初釜用に清鈴庵に寄贈 《12月22日》

清鈴庵の初釜 2011年辛卯 1月8日(土)


朝鮮唐津

来年の初釜用にと、干支の入った抹茶茶碗、朝鮮唐津と伊羅保をいただきました。

朝鮮唐津は唐津焼の一種で、器の表面を飴色釉と藁灰の白釉とで掛け分けた茶陶です。お茶席で朝鮮唐津と言えば多くは水指や花入れに用いられ、その場合、外側のみの掛分けが鑑賞の決め手になるわけですが、お茶碗になっているものは大変珍しいそうです。茶碗の場合はお茶を入れての美しさ、つまり見込みの色でお茶の美味しさも左右するため、外と内側両面に気を配った仕事となります。次に感動するのは、この茶碗を見たときの厚みから来る重量感が、実際に持ち上げてみると実に手に馴染んで軽やかなことです。お茶席のたたずまいを感じ、さらに出されたお茶を手にとって戴くとき、目から肌へそして口から喉元の味覚へと感覚を映しながら、もう一度心のうちに新しい世界を感じ得ることになります。

芸大時代に陶芸を専攻していた岩田隆さんによれば、白釉の元になっている藁灰を作るにも、稲藁をそのまま使うわけにはいかないそうです。農薬が作用してアクが出るため、釉としての美しい色合いを出すには妥協なく何度も手をかけアクを取り去る下準備が要るそうです。そうして出来た白の釉薬がまた飴色の釉薬と掛分けられ、出会いの妙で新たな美を産みだす。さらに抹茶との出会いを考えた見込みの色合い、その深みと共に仕上がりの軽やかなこと、そこに作者の作陶への真摯さを感じたそうです。


伊羅保

もう一点の伊羅保、これは(いらぼ)と読み、表面がいぼいぼしている、ざらついていることから来る名前です。これも李朝時代の高麗茶碗の一種ですが、素地に鉄分の多いあらい土を使って焼くので、ロクロ目の目立った跡に小砂が火にはぜ、釉がざらざらと荒れます。そこに釘彫りなどの作為を加えたものもあるなど、侘び茶で大いに好まれ、特に江戸時代初期に日本から朝鮮に注文して作られたと聞いています。

作者の奥田英山さんは、信楽の伝統工芸士・陶芸作家で、KIESSの石塚勝己さんの親友です。先だって清鈴庵を訪れて下さり、直接寄贈していただきました。奥田さんは1944年に信楽の窯元に生まれ、幼い時からお父さんについて陶芸と茶道の修行を続けていたそうですが、23歳の時に韓国で高麗窯に出会い以後傾倒。日本橋三越本店、京都野村美術館をはじめとして毎年各地で個展を開催し続けています。茶道も裏千家淡交会の滋賀県顧問、海外での茶道普及にも毎年関わられて、今年はミュンヘンにお家元が寄贈した閑松庵にて信楽焼と茶道を披露し、好評を博したそうです。

 



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