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中桐万里子さんは、二宮家5代目
の祖母から、金次郎の逸話を聞
いて育った。祖母の背中が金次
郎の姿と重なったという。
中桐という姓であるのは、祖母が
嫁いで姓が変わったため二宮で
はない。


















































































二宮金次郎の村おこしとは

〜「半分従い、半分逆らう」の水車理論で村を救う〜

7代目子孫が語る金次郎の「しごと」講演会 開催
 《10月22日》



二宮金次郎の7代目子孫にあたる中桐万里子さん。どことなく金次郎を彷彿とさせる。

金次郎は大男!書を捨てよ!名を残すな!といった

昔はどの小学校にもあった二宮金次郎の像。薪を背負って本を読む少年の姿から、勤勉で働き者の象徴としてのイメージがあるかもしれません。しかし金次郎が生涯為した業績はあまり知られていないのではないでしょうか。

10月22日、「二宮金次郎の人づくり人育て」と題して、金次郎の7代目の子孫にあたる中桐万里子さんが講師となり、金次郎の思想・実践を紹介する講演会が開催されました。

金次郎の銅像のイメージとは真逆な、彼の遺言や実践の数々を、中桐さんはエネルギッシュに、臨場感たっぷりと、熱弁をふるってくれました。

江戸時代末期を農民として生きた金次郎は身長180cm体重94kgの大男だったそうです。こんな姿にも少年像のイメージからはかけ離れたものを感じます。
金次郎の生きた 時代は天災人災の続く激動期でした。少年時に両親を亡くし、生きる指針を書物にも求め、その姿が銅像となったのだといいます。二重三重苦の中で、金次郎は田畑の“稔り”にこだわった。書物の理想論では生きていけない、「書を捨てよ」「実践・行ない」こそが大事だと考え、現実の自然の中から様々な知恵を見出していくのです。
「私の名を残すな、行ないを残せ」という遺言まであるとか。

この時期、自然災害や悪政による借金で苦しんでいた農民たちの救済に立ち上がるのです。金次郎は600以上の農村を回り、農民たちを飢饉や借金苦から救っていったといいます。

茄子の味から飢饉を予見

有名なエピソードを紹介してくれました。
ある年、田植えを終えた頃に、金次郎は茄子の漬け物を口にして、「秋茄子の味だ」と感じます。「これから夏を迎えるはずが、この味はおかしい」と冷夏の到来を予見するのです。金次郎は村中を駆け回って米の苗を稗や粟の寒さに強い作物の苗に植え替えさせる。そして予想通り冷夏がやってくる。この年から天保の大飢饉がはじまっていくわけです。しかし、金次郎は、その年に農民を飢饉から救ったのでした。

ここには、たとえ天災といえども身を守るための金次郎の知恵があったのです。それが「半分逆らい半分従う」という理論。「従う」とは、よく見ること、知ること。金次郎は様々な自然環境の変化を観察し、その一つに茄子の味があった。「逆らう」とは工夫すること実践すること、対策を立てることです。冷夏を予想し、その対策として寒さに強い作物を作る。この理論を農民たちに「水車のシステム」を使って説いていきました。現代にも通じる、人と人、人と自然や自分と相手とのよりよく生きるための知恵です。


中桐さんも金次郎の血を引くせいか、長身の女性です。


「半分従い半分逆らう」の理論を解説

「知る」「よく見る」とは?

こうした金次郎の実践例や言葉の中に様々なキーワードが出てきます。

「稔りとは、自然と人間のコラボレーション」
「どんな強大な力にでも逆らうことは出来る」

従うとは、『相手を知る』『よく見る』『受け入れる』こと」
「逆らうとは、『対策する』『工夫する』『実践する』こと」

「大自然に“無力”なのではなく“無知”なだけ」
「農業はマニュアルが通用しない営み、目の前の現実を『よく見る』、『知る』ことから」
「『知る』とは、そのもののプロセスやドラマを知ること」
「『知る』『よく見る』から生まれるワクワクドキドキ感が、『実践する』ためのエネルギー」

「ギブアンドテイクではなくテイクアンドギブ、テイクが先」
「テイクとは、自分がどれだけたくさんの人やものに支えられているか知ること、受け取ること」
「テイク=知ること、受け取ること、現実を見ることから、満たされて自ずとギブがあふれ出す。実践につながる」

テイクアンドギブの報徳ファンド

水車の理論は、人災である借金苦からも農民たちを救っていきます。それが金次郎の考案した 「報徳ファンド」の逸話です。

借金に苦しむ農民に無利子無利息でお金を貸します。返済し終えたところで、その喜びを次の人に形で表しなさい、農民の主体性・尊厳を奪ってはいけない、ギブの人になること、次の担い手になることを諭します。与えることこそ人の喜びではないか、と結ばれました。

中身の詰まった金次郎の言葉や実践エピソードを、現代の私達に通じる知恵として、中桐さん自身から溢れる言葉になって会場に注がれました。

滝のように一気に流れる語り口調は、まさに珠玉のシャワー。金次郎の言う「知ること」とは「ワクワクドキドキすること」の言葉どおり、金次郎の言葉が、生きた言葉となって響いていったようです。

参加者の一人からは、「自分の人生が何だったのか、お話を聞いて目覚める思いがした。還暦を過ぎてこれからの人生を考えていたが、何をしていくことが見えてきた気がした」と興奮するように感想を述べていました。


会場から熱い拍手


講演後は、カフェでドリンクを手に、楽しく歓談。
中桐さんの話は、最後までエキサイティング。


参加者の感想より

とても感動的ですぐに自分の生活に実践したい有意義なご講演でした。二宮金次郎さんの自然と人間とのコラボレーション、また報恩、報徳の心を忘れずに毎日を過ごしたいです。(70代女性)

金次郎さんの考え方がよくわかりました。半分従い半分さからうということ。ヒントや手がかりは目の前にある。受け入れることを最初にするなど、いろいろ学ばせて頂きよかったです。(40代女性)

話している人がおもしろかった。声がかわいかったし、とーっても説明が上手で、聞きやすかった! なんでそんなに知っているんだろうなぁ…。と思いました。私は名前しかしらなかったので、金次郎の深い内容を聞いてとっても楽しかったです!オレンジジュースもめちゃおいしかった。(10代女の子)



目からウロコの落ちるお話で大変勉強になりました。Giveの精神を忘れないよう、これからの人生頑張ります。(60代男性)

すごく話が心の中に入ってきました。
今まで金次郎さんは学校で見て知ってましたが、でもその人は‥‥知りませんでした。
人生をおきかけて考える事が出来て勉強になりました。私も人の為を思って行動をおこすだけでなく、きちんと受け取りたいと思います。(40代女性)

二宮金次郎のことをよく学ばせていただきました。自然を愛すること、人と人とのコラボレーション、農業の大切さ等、いろいろ学ばせていただきました。これからの人生に役立たせたい。(60代女性)


会場からも質問や金次郎ファンの熱い発言がありました

毎日のように新しいことに出会うドキドキ感から逃げたくなる日々を過ごしてますが、今日の話を聞きながら自分の生き様(自分なりに精一杯生きた姿)を子どもたちに見てもらいたいと感じさせてもらいました。感謝。(50代女性)

本当に相手を思うということはどういうことか、本当に相手を救っていくということはどういうことか、自分自身がお腹いっぱぴい幸せになって感謝の気持ちでそれを人様にお返しさせて頂く、そしてその人が徳積みが出来るようにしてあげることなのだと思わせていただいた(70代女性)

実にすばらしいお話でした。現代に通じるというより時代はかわっても本質は同じだと思います。(50代男性)


杉本さんが「私と二宮金次郎」と題して、ジョークを交えながら楽しいお話を。

相手が人であれ、自然であれ、まず徹底的に研究すること、とても大事な事を教えて頂きました。(50代女性)

自分自身を振り返りまた次世代に伝えたいことの原本が私自身確保されたように思いました。(50代男性)

大変良い話でした。今の政治事に是非尽力される事を望みます。既に清水将大氏の本を読んでいましたので今日の話でいっそう良く分かりました。(60代男性)


中桐さんと杉本さんの対談のコーディネータをつとめる鷹巣さん。
会場を大いに盛り立てました。


二宮金次郎さんに魅せられました。一年くらい前に何がきっかけか小説を読んでその生き方が心に残っていたのですが、また呼び覚まされました。ワクワクドキドキがエネルギーになるって本当だと思います。(50代女性)

二宮流ファンドの真価を聞かされて興味深く思え、報徳についてもう一度考え直してみようとする自分が出てきた。(60代男性)

なかなかエネルギッシュで迫力がありました。金次郎の生き様を始めて知ったという感じでした。物事の本質をつかんで自然と調和していく考え方がとても心に響いてきました。(50代女性)

金次郎という人が本当にどんな人だったかは、私には分からない。すくなくとも中桐万里子さんという人を通じて、伝わってくるイメージや姿から察するしかない。しかし、その金次郎像を伝えている中桐さんという人物は、金次郎思想の実践者のように、私には映った。相手をよく知ることが物事の始まりとも言ってたが、ただ、自分の講演をするためだけに、この鈴鹿を訪れたのではなく、鈴鹿カルチャーステーションのこと、アズワンコミュニティのこと、など、今ここで行われている新しい街づくりに関心を寄せられて、前日から来訪され、関係者と懇談し、話を聞いていかれた。
中桐さんの講演の内容が、ここで行われていることと大変リンクするところが多々あったと感じた。
特に、「知る」ということの中身を、知識や情報を得るという意味の知るではなく、生きた現実を見ること、とらえること、目に見えるものの奥にある背景やドラマ・プロセスまで見ようとすること、そこに気づくことで、どれだけ自分自身が多くのものから、受けているか、支えられているか、というものに気づき、心が満たされていく、その結果として発露していくものがある、という話。
あ、本当にそうだな、と改めて思った次第だ。
頭ではわかっていても実践に結びつかないのは、知識の段階にあるからだろうと思う。ふと、現実に触れたり、人に触れたり、自分の殻を破ったときに、目の前の事実が自分の中にポンと飛び込んでくる。その時はハッとさせられる。同時に中桐さんの言うワクワクドキドキ感も起きて来る。
人も自然も絶えず、変化し、日々移り変わっているのだろうが、自分の頭や心が、どこかに留まり、同じだと見てしまうと、その変化にも気づけない。
さまざまな示唆に富む講演だった。中桐さんからテイクしたものが、自分の中であふれ出している。感謝の言葉では収まらずに。(T)

(文と写真:いわた)  



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