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IMAGINE!「お金のいらない国」を想像しよう!
  そんな国で暮らしたら? 《2016年5月15日》 




今年も長島龍人さんの落語会「お金のいらない国」が5月15日に開かれました。
天気もよく、会場も大入り満員の大盛況。昨年に続いて2回目です。
今回の趣向は、参加者どうしの交流会があったこと。
「お金のいらない国で暮らしたら、あなたは何がしたいですか?」
そんなテーマで考えました。具体的にイメージしてみると気づくことや疑問点が、
出てきます。発表会ではそれぞれの意見に大爆笑。
頭のネジが少し緩みましたか?

参加された方は、また当日のことを思い出してみてください。
されなかった方もちょっと想像してみてください。

当日の様子は…



今回の司会進行係は、おやじギャク好きの杉本信之さん。通称のぶさん。
開始前から、ギャクを連発、場を盛り上げてくれました。
龍人さんの1幕目が終わって、「足
しびれてきたので、ここらで歌など」と立ち上がり
オリジナル曲を演奏、会場もしっとり聞き惚れました。
杉本さんが「もう足のしびれは取れましたか?私は歌にしびれました」と間髪入れずに
ダジャレのリアクション。会場からも「お見事!」とシビレ声。
司会、演者、会場の掛け合いもピッタリに進んでいきます。



「歌に感動して泣けました」という方もいました。笑あり、涙ありの落語会に。



一堂拍手を送って落語会から交流会へ。



交流会では、6つのグループに分かれて、話し合い…



それぞれの輪で出された意見を、全体に発表しました。
この時も大笑いの連続。
「お金のいらない国では、臭い汚い仕事は誰がするのか。という
ことが話題になりました。で、考えたんですけど、きっとマニアが
やるんじゃないかって」

龍人さんが、「人がやりたがらないことをやるって、この国では
そういう人がヒーローかもしれませんね」
時計を見ると4時半ジャスト。時間通りにお開きとなりました。これもお見事!

その後、実行委員会では、今後に向けて検討しています。
「来年もまたやりたい!」「もっともっと想像してみたい!」
と次のことへ意欲が高まっています。
イマジン「お金のいらない国」を想像しよう!そんな場や会を設けて
みんなでもっと想像してみたいなーと。
やってみたい方はご一報ください。


さて、落語会や交流会では、ずいぶん考えさせられたという方もいます。
今の自分を見つめるいいキッカケになったとか。
少し長いですが、参加者の感想も紹介しますのでご一読を。(記事:いわた)


 ●お金という梱包を開けてビックリ…
      〜本当の喜びって何だろう?

            想像したら見えてくる

世界旅行がしたい!
「お金のいらない国に暮らしたら何がしたいか?」考えた。
僕は、すぐに世界旅行をしたい! 一年中、旅をしていろんな風景を目にし、いろんな人に出会ってみたい。そんな気ままな暮らしがしてみたいと想像した。
車も電車も飛行機も乗り放題でどこにでもいける。(長島さんの考えでは、欲しいものは何でも手に入るという都合のよい設定になっている)
高級ホテルでも、豪華な料理でも酒でも何でもタダだから贅沢三昧し尽せる。(落語では、「贅沢って何ですか?」ってなってたけど)
毎日自由を満喫出来る気がしてくる。

ふと、そんなことを思う自分を疑ってみた。その思いは今の生活の反動かもしれない。
でも僕は今の自分に不満を感じていないし、かなり快適に暮らせていると思っている。
では、何故? 単なる願望かな? ちょっと突き詰めて考えてみた。



人の評価で育ってきた自分…
僕たちは、子どもの頃から優劣や勝負で評価され、喜んだり悔しがったりして育っている。仕事でも損得勘定で頑張ったり。自分の働きが他人に測られて、その結果で動き、一喜一憂している。
お金のいらない国では、優劣で評価されたり、勝負事で喜んだりもないそうだ。
お金がないというのは、見返りや報酬を求めて仕事をするのでなく、本人がしたいことを奉仕でやって社会が回っている。
見返りで喜んでいるのか、人に役立って喜ぶのか、そのどっちだろう?
今の自分の喜びは何を求めてのものだろう? 

想像はどんどん広がる。
子どもの学校の勉強も、将来のお金のためという動機が浮かぶ。親が子どもの将来を案じて勉強を強制し、子どもも嫌々学校に行き、不登校になればまた心配…となる。教育問題はお金の問題だろうか? 社会の多くはこのお金の問題で汲々としている。

もし、そのお金がない社会で、本当に自分は何をしたいのだろう?



してもらうことばかり
「世界旅行」もそうだけど、これってみんなしてもらうことばかり。
実際には、飛行機に乗るにもホテルに泊まるにも、そこでは誰かが働いているからできることだ。そんな、人にしてもらうことが“幸せ”だってなってるような自分。

落語では「お金のいらない国」に迷い込んだ男性が、しばらく遊び暮らしたあげく、自分も何かしたくなった、と自分の出来る仕事をやる。人に何かしたくなってくる。

人に何かしてあげる喜び・・・、それって何だろう?
普段、結果や評価ばかりに目が向いて、肝心かなめの喜びを揉み消しているのかも。
だから、人の行為の有難みが見えてこない。

世界中でいろんな人たちが働いていてその関連の中で、今の自分の生活もあり
快適さも享受しているのに。

お金が見えて 人が見えない…
テレビをつけたら漁師さんが暗い海で漁をしていた。大量の魚を水揚げしている。
この漁師さんたち、お金のために仕事してるのかな〜?
そんな意識もあるんだろうけど、お金がなくてもするかな?
する人もいるだろうなー。だったらその人の気持ちって何だろう?
獲れた魚をみんなに食べてほしい、そういう思いかなー。もっと何かあるかなぁ。
自分の分だけ獲れて満足はないだろうなー。

本当は何がしたくて、働いているんだろう? 一人ひとり。
そういう人の存在に自然と目が向いていく。そして自分の中身にも。

お金を得ることよりも、もっと大きな喜びが本当はある。



お金にしがみつく一時の流行?
今の時代はお金にみんなが飛びついたり、しがみついたりしている状態。ひょっとするとこれは今だけの流行かもしれない。人類史からみたら、お金の時代は極最近の出来事。江戸時代でもお金はあっても、天下の回り物だったり、宵越しの銭は持たない、そんな風潮があった。今は、みんながお金、お金と声高に言うので、意識がそちらに向いて、必死になる。人々の関心が心の方に向いて、一人抜け、二人抜けと、お金に関心がなくなれば、案外簡単にお金はただの紙切れになり、その時はお金のいらない国になっているかも。

「お金は人間が考えた制度で、その制度に人間が苦しんでいるとしたらやめてもいいのでは」と長島さんは言う。ぼくもそう思う。

お金のいらない国での暮らしをもっとみんなで考えたら、何か大切なものを発見できそう。本当の喜びや楽しさが見えてきそうだ。

「お金のいらない国がいいとか正しいとか、そうしなくては、なんて言ってません。まず想像してみてください。想像できないことには始まらない」
そんなことを長島さんも言ってたなー。

案外、その世界はすぐ隣にあるのかも。そんな社会になったとしても、僕は今のように
暮らしているかもなーと、思った。 (T・I)


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